スタッフのご紹介
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心も身体も元気に!
- 和泉 拓也(いずみ たくや)
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出身地:北海道札幌市
血液型:A型
趣味・特技:キャンプ、釣り、サウナ
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへ私は身体の不調だけでなく心のケアも一緒にしていきたいと思っています!些細なことでも良いので気になることなどはすぐにご相談ください!明るく元気にお待ちしております!
施術家になるまでの自分私は小学校の頃から父親の仕事を手伝うことが多く、身体を酷使することが多々ありました。その時は小学生という事もあり、身体が辛いということはありませんでした。しかし中学に上がり、陸上競技を初めてから少しずつ不調が出始め、そこからだんだん自分の思うようなパフォーマンスが出来なくなっていきました。痛みを我慢しながら動くというのはこんなにも辛いのかと実感しました。3年生の時には動けなくなるほどの腰の痛みが出てしまい、中体連に出ることができない状態でした。そこで父親に相談したところ「一緒に整骨院の先生に見てもらおう」と言われ、初めて整骨院に通うことになりました。初めて行くということもあり、とても緊張していましたが整骨院の先生は丁寧に症状を聞いていただき、レントゲンも使わずに腰痛の原因をつきとめてくれました。初めは「こんなことで症状が良くなるのか?、あんな検査だけで大丈夫なのか?」と不安でした。ですが、施術が終わるとあれだけ痛かった腰痛が運動出来る程度まで痛みが軽くなりました。それからは中体連までそこの整骨院に通い、体の調子を整えていきました。その効果に感動し、感謝の気持ちでいっぱいになると同時に自分も先生と同じようにスポーツする人を助けていきたいと思うようになりました。この時の強い憧れを胸に施術家を目指すようになりました。
新人・修行時代の自分私が修行した整骨院は1日70名ほどの患者様が来院される個人経営の整骨院でした。新人だった私はまず技術練習から始まりましたが、人手不足ということもあり、受付業務や事務作業も並行して行っていきました。初めは覚えることが多く、覚えの悪い私は同期の先生方に置いていかれるような状態で毎日のように悔しい思いをしておりました。そのため、朝・昼・夜と同期の先生と先輩方と技術練習に励む日々を続けました。同時にもう一度身体の仕組みについて勉強をし直しました。その努力のおかげで少しづつ施術をさせて頂けるようになりました。初めて担当させていただいた患者様に「楽になりました、ありがとうございます」と笑顔で言っていただいた時はこの仕事につけて良かったと感動したことを忘れません!この様な新人の頃の経験があったからこそ現在の自分がいるのだと感じております。今でも患者様の「楽になった」「ありがとう」という喜びのお言葉や笑顔は私の原動力となっています。そして初心を忘れずに、少しでも多くの人の辛さや悩みを解決できるように全力で施術をしています。痛みや不調、お悩みを解決したいという方がいらっしゃいましたらお気軽にご相談ください!
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地方No. 1整骨院
- 高羽 志門(たかば しもん)
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出身地:北海道札幌市
血液型:A型
趣味・特技:旅行、サウナ
資格:鍼師、灸師
- 地域のみなさまへ当院は地方で1番活気があり愛がある院です!!患者様の患という字は心に串が刺さっていると書いて患と読みます。体の調子が悪いとイライラしたり疲れたら心も疲弊していきます。そんな心の串を我々は抜いていきます!
施術家になるまでの自分私がこの業界に入ろうと思ったきっかけは高校生の頃になります。当時私は小さい頃からやっている野球に明け暮れていました。ピッチャーをずっとやってきて、中学生の頃から肩に痛みが出るようになりいつしかかばって投げるようになっていました。高校1年生の秋に野球肩と診断され、そこからリハビリ生活が始まりました。リハビリを続けても肩の状態が良くならず、痛み止めの薬を飲んで誤魔化しながら試合に出ていました。そうこうしているうちにあっという間に2年生の秋になり新チームが始まり、私たちの代が最高学年になっていました。高校入学前には当たり前にチームのエースになるものだと思っていたのですが、怪我の影響で投げるたびに肩から骨が擦れるような音が鳴っており、球速がどんどん落ちていっていました。なので3番手ピッチャーになっていました。それから完全に気持ちが腐ってしまって、リハビリに行かなくなってしまいとうとう全力で投げることが出来なくなりました。毎日練習中に思い通りに投げれず、トイレで隠れて泣いていました。(笑)3年生最後の年の春と夏にベンチメンバーにも選ばれずに観客席で応援していました。私の人生の中で1番の挫折を味わいました。引退してから、もっとああしとけばよかったと後悔が沢山湧いて来たのと同時に、テレビやYouTubeで同じ高校球児を観てると自分と同じ苦しみを持っている人が全国に沢山いるんだと気づきました。自分と同じ苦しみを特に野球をやっている子たちに味わってほしくないと思い、鍼灸師になろうと思いました。
新人・修行時代の自分新人時代の私は、地元札幌を離れ本社がある千葉の方で働いていて、先輩方に毎日みっちり練習に付き合って頂いていました。当時の私は自分に自信が持てず、技術や問診練習で先輩から指摘される度に落ち込んでしまったり、上京して一人暮らしをしていたのもあり若干のホームシックになったりもしていました。当時はそんな自分の感情を無視して淡々と働いていました。入って来た時は院長になりたいと思っていましたが、いつしかその気持ちは1年経って無くなってしまいました。違う院に異動になりいつも通り淡々と働いていたのですが、当時の院長先生に半ば無理やりに、外部の方が本社に来て講師をして下さる研修に参加してこいということで、その研修に参加する事になりました。目標達成をする為のマインドややり方を学ぶ研修で、50人程参加していて院長希望では無くなっていた私にとっては苦痛の時間でした。ですが2日間朝から夜までみっちり研修を受けていて、自分の中で心の変化がありました。今まで自分の気持ちに無視して淡々と仕事をしてきて、これから先何も楽しくないなと思いました。自分や周りの大切な人を豊かにする為に仕事をしたいと思うようになりました。なのでこの研修に参加させてくれた院長先生に恩返しをしたい、その為に院長になろうとまた思うようになりました。まだまだ未熟ですが、あの研修があってから自分の中の価値観が変わって今に繋がっています。これからも目的を持って自分や周りの人を豊かにする為に施術をしていきます。
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1番明るく元気のある整骨院
- 志賀 友梨子(しが ゆりこ)
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出身地:北海道旭川市
血液型:A型
趣味・特技:お弁当の作り置き、ウィンドウショッピング
資格:鍼師、灸師
- 地域のみなさまへ肩こり・腰痛・頭痛など、いつものことだと思わず、一緒に元気な身体作りをしましょう!!スタッフ一同、元気に明るく皆さまのご来院をお待ちしております!!
施術家になるまでの自分私は中学1年生から高校3年生までバドミントンをしていました。中学1年生の頃からよく身体のあちこちを痛め、その度に整骨院に通っていました。そして高校2年生の秋頃、同じ整骨院に通う他校のバドミントン部の方と仲が良くなる機会がありました。その方は1個上の学年で、お話を聞いていると進学先が鍼灸の専門学校に決まっているとの事でした。私はそれまで鍼灸治療を受けたことも見たことも一度もありませんでしたが、その方と色々お話している中で、鍼灸治療に興味が湧いてきました。その後、実際に専門学校のオープンキャンパスに参加し鍼治療を体験しました。その時は簡単な治療ではありましたが、遠隔治療でツボを使い、離れた場所の痛みを取るというものでした。このツボを使った治療の面白さに心惹かれました。それまで将来の夢がなく進学先を迷っていた中でしたが、鍼灸治療という新しいものと出会い、そのワクワクから鍼灸師を目指そうと思いました。進学先が決まってからは周りの友達が受験勉強をしている中、私はツボの本を買ってそれを見て過ごす日々を送っていました。そして進学してからも、せっかく資格を取りに来たからにはと一生懸命勉強し、無事鍼灸師になることが出来ました。
新人・修行時代の自分新人の頃の自分はとにかく目の前のことに一生懸命だったと思います。一緒の院に配属になった同期がコミユニケーション力が高く、すぐ場に馴染めていたり、施術のコツを掴むのも上手で、その同期について行くので必死でした。自分は出来るようになるにはとにかく練習するしかないと思い、家が近い先輩にお願いをし、朝早く出勤して先輩に練習を付き合って頂いたり、お昼休憩中も同期と一緒に寝ずに先輩の身体を借りて練習に励む毎日でした。また、研修期間中は退勤時間が早く決められていましたが、私と同期は毎日最後まで残り、空いた時間に先輩の身体を借りて練習するなどしていました。その後同期と一緒に別の院に配属になりましたが、その院は当時かなり混みあっていて、最初の頃はとにかく院の忙しさについて行く事で精一杯でした。日々へとへとになっていましたが、業務後に先輩や同期とご飯に行ったりして元気をもらっていました。また、勤務していく中で、患者様から「楽になったありがとう」と笑顔で言って頂く機会が増え、その言葉を沢山言ってもらいたいと、より技術練習に励むようになりました。いつまでも初心を忘れずに患者様と向き合っていきますのでよろしくお願いします。
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明るく元気よく、そして真剣にお悩みと向き合っていきます!
- 木下 舜也(きのした しゅんや)
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出身地:北海道苫小牧市
血液型:A型
趣味・特技:散歩、音楽、お絵描き
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへ皆様こんにちは!木下です。僕はみなさまのお役に立てることが自分の1番のやりがいと感じております。明るく楽しくそして真剣に皆様のお悩みと向き合っていきますのでよろしくお願いいたします!
施術家になるまでの自分実は僕は大きな怪我や実際に整骨院にお世話になった経験はありません。僕は高校から大学へ進む時、「体を動かすことが好き」それだけの理由で体育の教員を目指していました。しかし色々とうまくいかず受験には失敗してしまいました。僕の今までの人生の中で1番の挫折、となるはずなのですが、この時なぜか僕は全く悔しくなかったのです。約2ヶ月ほど家でただゴロゴロする日が続き、親にも心配される中、なぜだろう?僕は悔しさがないことが不思議で自分ともう一度真剣に向き合ってみました。そしてその道が自分が本当に望んでいたものではなく本気じゃなかったから悔しくなく、僕が本当に好きなのは「人の役に立つこと」「誰かのために動くこと」だったのだと気づきました。そこから自分が体を動かすことも好きだったことからケガなどをした時にサポートできる職業はないかと探し、柔道整復師を見つけ専門学校に体験に行きました。柔道整復師の活躍できる場や学べる内容を聞いた時、すごくわくわくしたのを今でも覚えています。実際に入学してからもとても楽しく学ばせて頂き、無事に柔道整復師の国家試験に合格し、今現在みなさまのお身体の健康を守っていくために日々整骨院で働かせていただいています。
新人・修行時代の自分僕は新人として院で働き始めて1ヶ月半くらいで新店舗のオープンスタッフとして行くことが決まりました。北海道の同期たちと比べると施術のデビューも遅く、技術も会話もまだまだ未熟。周りの同期のやる気に圧倒されてなかなか自分を出していけない日々。たくさん練習していかなくてはならないのに、叱られるとめちゃくちゃ分かりやすく拗ねる。どんな言葉でフィードバックをしていけば良いのか加減が難しい新人だったと思います。そんな僕を当時の院長や先輩スタッフは木下先生のいいところは言われたことをそのまま受け取れる素直なところだと褒めてくれました。そんな先輩スタッフ達に優しく温かい目で見守られ、なんとか新店舗のオープンスタッフをやり遂げることができ、それが僕の最初に経験した大きな達成感でした。それからは先輩や同期と自分を比べては自分よりもすごいところを探し(相変わらず時には落ち込みながら)、自分もできるようにならねばと真似してみたり相談してみたりといった日々を送り成長し続けることができています。そしてその成長をみなさまに還元できることが僕の1番のやりがいとなっています。まだまだ僕には伸び代だらけなのでこれからもみなさまのために日々精進してまいります。
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明るく元気でアットホームな整骨院!
- 小野寺 一真(おのでら かずま)
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出身地:北海道稚内市
血液型:O型
趣味・特技:サウナ
- 地域のみなさまへ地域No. 1の整骨院を目指しています! 整骨院に行ったことがない方も多いと思います。お身体のお悩みや痛みがありましたら些細なことでもお気軽にお越しください! スタッフみんなで皆様のご来院を心よりお待ちしております!!!
施術家になるまでの自分私が施術家を目指した理由は通っていた整骨院の先生への憧れです。小学校から高校までサッカーをやっていました。元々ストレッチはあまりしていなく、いつも怪我をしてからストレッチしておけば良かったな。と後悔ばかりしていました。そのような生活を続けていると中学3年生の中体連の際に右足首の捻挫をしてしまいました。内出血も酷く大きく腫れ上がれ歩くことも困難な状態になりとてもサッカーをやれる足ではありませんでした。そこで自宅から近かった整骨院に行きました。電気治療やテーピングを行ってくれたお陰で歩けるくらいに回復でき、毎日通うことになり、先生やコンシェルジュの方がとても明るく、学校での出来事や悩み事などを聞いてくれて身体のケアはもちろん心のケアもしてくれました。この様な生活を送るうちに「整骨院で働きたい」と思う様になりました。 それから専門学校に通うことになり、地元を離れて札幌へ行きました。毎日毎日勉強に追われる日々でした。正直挫折しようと何度も考えてた時期があり泣きながら勉強したこともありました。諦めず勉強に取り組んでいくと知識がついてきて学生時代は疎かになってたストレッチや姿勢の悪さなど重要性が強く感じました。自分が学んできたこと、経験してきたことを基に皆様に伝えることが出来れば嬉しいです。
新人・修行時代の自分私は本社のある千葉県でで研修を受けて北海道配属となりそれからスタートしました。 新人の頃は先輩スタッフや特に院長先生からご指導頂きました。初めて配属された時はどうしたらいいのか分からずただ突っ立ってるだけで何も出来ずにいた事を鮮明に覚えています。 当時の私は技術力が同期に比べても低く先輩からは「指圧がまだまだ練習必要だね」「症状も追えるようになろうね」などご指導頂きました。この言葉をきっかけに今まで以上技術練習に時間を費やしてきました。出勤1時間前、昼休み、業務後に先輩スタッフに頭を下げ練習に付き合って頂く毎日を過ごしていました。 上手くいかない事だらけでしたが専門学校から同じの同期が数多くいた為、切磋琢磨しながら練習に取り組むことが出来ました。 知識面では今でも活用している患者様ノートを記録する様になりました。その日状態や症状を記入することによりどうしたら身体を良くできるか?緩和することが出来るのかを考えられる様になりました。それから技術力や知識力が付いてきてある日患者様から「ありがとう」「通ってよかった」などお褒めの言葉をいただく事ができ、施術家として少し認めて頂けたのではないかと胸が高鳴ったことを鮮明に覚えています。 今でもその言葉を忘れず、これからも成長できるように精進していきます。